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随心記

浪人生です。何となく書いています。読みたかったら読んでください。

あいがなければ

今日は1つ面白いなと思った情報から話していこうと思う。

所謂、"行為する"と言った内容を示す英語は"make love"だそうだ。愛がなければセックスではない、とは端的に物事を表現しているものだと思った。日本語と英語の連動なのか、真偽は如何に。余裕のある方、調べて教えてください。愛が無ければそれは行為ではなく、むしろ"交尾"とでも呼べばいいのかもしれない。知能を持ってる人間が優れている、と言った人間バンザイな考えを持っている訳では無いが、相手に対してloveを有し得るのが人間なんだ、という考えが根底にありそうだ。loveとlikeは似て非なるものだとよく言うが、愛なんて誰にも分からない不確定なものだ。国を愛する心が何となく話題になる昨今。和菓子職人にでもなろうか。そんなことより、誰が"make love"というイディオムとセックスを結びつけたのか、少し興味をそそられた。きっとよほどのロマンチストだろう。なんだかんだ世の中色んなシステムや言語の中心はゲルマン系(あるいはユダヤ)が握っているんだなあとそう思っている。どうでもいいけど。

 

それはさておき、今日は高1から連れ添ったツイッターのアカウントを削除した。感情のゴミ捨て場となり続けたその空間には、8200以上ものツイートという僕の感情の切れ端があった。絵文字が多かった頃や演奏会前後、様々な写真、一つ一つが僕の高校3年間の何かしらを示していた。あと、ファボ、いいねといった僕の承認欲求を満たしてくれるモノ。いいねしてくれたら-などのもっと承認欲求を満たしてくれるフレーズ。物質的に存在しないけれど、こんなに心に大きく居座ったものは他にない気がする。

1人っ子の僕は家で親以外に話す人はいない。でも、ツイッターにはいつも誰かがいる。それだけツイッターは僕にとって意味のあるモノだった。そんなものも、『アカウントを削除する』というボタンを押してしまったから、全部なかったことになった。あっけない。もう僕がいくら承認されたか、認められたか、なんていうことの証拠は無くなってしまった。思えば馬鹿みたいな話だ。相手が画面の一部分を強く押したから僕のスマホに反応が来る。それを楽しみにしていたなんて、なんて無力な楽しみだったんだろう。そこには愛はないはずだ。その場しのぎの承認は更なる承認を欲するようになる。まるで薬物依存みたいだ。でも、依存してたからね実際。

もしかしたら、浪人もSNS依存からの脱却のチャンスなのかもしれない。ヒトはもっと色々な事で評価され得るはずだから、もっと何かがんばってみれば、ということかもしれない。予備校の教材も貰い、時間割も発表になった事だし本格的な始動が間近だ。と言っても、あまりやる気が出ていない。結局同じ事の繰り返しになる気しかしないからだ。きっかけは自分から掴むものなのか、それとも道端に落ちているのを拾い上げるものなのか、分からない。愛も一緒だ。偶然か、必然か。愛を持てる相手、現れてほしい。それとも自分から。愛が欲しい年頃だ。でも現実は邪な考えは捨てて勉強しろ、だ。

1000文字は超えた。大体そのへんが目安だと勝手に決めた。それではまた会う日迄。