随心記録

浪人生です。何となく書いています。読みたかったら読んでください。

人間 にんげん ニンゲン human humain

早いことで予備校が始まって1ヶ月半。こんにちは。毎日忙しく過ごしていて、ブログなど忘却の彼方だった。

元同級生の方からあまりにもブログが目に余るそうで連絡が来た。まあそれは読んだらそう思うだろう。自分で読み返してみても酷いもんだ。それでも、そういう思いを断ち切れたかと聞かれたら、全く断ち切れてはいないけれど、それなりに前を向いてるよ、と答える他ない。所詮命を自ら絶つ勇気などない私だから。そんなこんなで久しぶりにキーを押している。

 

昨日は模擬試験だった。結果はまあいいでだろう。判定なんてただのアルファベット。固執するのがいかに愚かは充分学習済。

国語の小説で、ハンセン病患者を題材としたものが出題された。人間としてじゃなくて、ハンセン病患者として生きる意義を見出そうよ、みたいな文。ハンセン病患者だって同じ人間なのに、だ。人間たることを諦めて別物として生きようよ、こんな悲しいと言うか無情なストーリーがよく許されたなと思った。浪人もそんなもんだ。結局1年(?)遅れるのがどれだけ愚かしいことか。英語では数学は暗記じゃないよ、暗記だけの子は1年勉強が遅れるよ、という文章が出題された。余計なお世話だ。アルファベットの羅列まで現実を突きつけるな。よくこんなもの模試に出してくれたなあと恨めしくも思う。要は数学的論理思考能力が欠如してたら受け入れてくださる大学など無いと高らかにのたまうているんだろう。困った困った。

 

ここまで読んで、こいつ4月から変わってないなと思った方。違います。実はと言うか、実際、予備校を意外とエンジョイしてしまっている。クラスも25人と少なく、授業も満足出来るものだ。友達もできた。

普通に友人が出来てしまうのが良きことか、悪しきことか、分からないけど、人間らしくない?人間は関係性があって初めて個体認識を受けるんだし。同じ運命を受け入れてしまった同じ年の人間が集まれば集団意識を持つはずだし、その通りに交友が生まれていくもんだ。

あと、学問は暗記ではない事を毎日毎日痛感させられている。英語を深くまで掘り下げて解説してくれるチョークを折りまくるおじさん、毒舌だけど数学の解説は異常にわかり易いおじさん、文章を読みほぐす事がどういうことか教えてくれるおじさん。

なるほどの連続だ。暗記ばかりやってた去年の勉強は本当に味気なかったと今振り返って思う。逆によく暗記だけであそこまで引っ張ったと悪い意味で感心している。今大学生の方々はこういう体験が出来ないと思うと可哀想だとも思うが、それは言い過ぎだ。学問は本来頭を使って考え、それを表現していくことが重要なのに、それを忘れてしまっていた。

一朝一夕で成績が伸びることは無いし、長年暗記メインでやって来た自分を叩き直すのは時間がかかるのは百も万も承知だけど、去年より何か少しでも変わればそれでいいと思っている自分がいる。第一志望だ、学歴だなんだ、と考えてしまうのはやめられないが。仕方ない。一層の事、現総理大臣を打倒する革命が起きるか、北のお偉い方が何某を撃つか、南がナントカ合意を破棄するかして極東情勢を混沌に落ちたら学歴なんて関係なくなるはずだ。無論体力のない自分はもっと用無しだけれども。それとも己が革命を起こせばいいのか。ラ・マルセイエーズでも歌っておこう。

毎回こういう締めくくりになるのは、自分の根本の考えがそういうものだからなのだろうが、とりあえずでも存在し続ける事が求められていると思う。悲観的でも生きていけばそれはいつか存在証明になるはずだから。自己を認識出来ているだけでも、無知の知を認識しているだけでも、幾分か1ヶ月前より人間らしさを得たかもしれない。人間らしさって自分の理想とする人間が分からないのによく言ったもんだ。

 

 

 

 

もしかしたら、意外と私の事を現実で知っていた方がこれを読んでいらっしゃるようです。筆者の知りあいでこのブログを読んだ方は良かったら連絡が欲しいです。どんな事を思うのか純粋な興味があります。

それでは、次は夏になったらでしょうか。いつでしょうか。さようなら。

あいがなければ

今日は1つ面白いなと思った情報から話していこうと思う。

所謂、"行為する"と言った内容を示す英語は"make love"だそうだ。愛がなければセックスではない、とは端的に物事を表現しているものだと思った。日本語と英語の連動なのか、真偽は如何に。余裕のある方、調べて教えてください。愛が無ければそれは行為ではなく、むしろ"交尾"とでも呼べばいいのかもしれない。知能を持ってる人間が優れている、と言った人間バンザイな考えを持っている訳では無いが、相手に対してloveを有し得るのが人間なんだ、という考えが根底にありそうだ。loveとlikeは似て非なるものだとよく言うが、愛なんて誰にも分からない不確定なものだ。国を愛する心が何となく話題になる昨今。和菓子職人にでもなろうか。そんなことより、誰が"make love"というイディオムとセックスを結びつけたのか、少し興味をそそられた。きっとよほどのロマンチストだろう。なんだかんだ世の中色んなシステムや言語の中心はゲルマン系(あるいはユダヤ)が握っているんだなあとそう思っている。どうでもいいけど。

 

それはさておき、今日は高1から連れ添ったツイッターのアカウントを削除した。感情のゴミ捨て場となり続けたその空間には、8200以上ものツイートという僕の感情の切れ端があった。絵文字が多かった頃や演奏会前後、様々な写真、一つ一つが僕の高校3年間の何かしらを示していた。あと、ファボ、いいねといった僕の承認欲求を満たしてくれるモノ。いいねしてくれたら-などのもっと承認欲求を満たしてくれるフレーズ。物質的に存在しないけれど、こんなに心に大きく居座ったものは他にない気がする。

1人っ子の僕は家で親以外に話す人はいない。でも、ツイッターにはいつも誰かがいる。それだけツイッターは僕にとって意味のあるモノだった。そんなものも、『アカウントを削除する』というボタンを押してしまったから、全部なかったことになった。あっけない。もう僕がいくら承認されたか、認められたか、なんていうことの証拠は無くなってしまった。思えば馬鹿みたいな話だ。相手が画面の一部分を強く押したから僕のスマホに反応が来る。それを楽しみにしていたなんて、なんて無力な楽しみだったんだろう。そこには愛はないはずだ。その場しのぎの承認は更なる承認を欲するようになる。まるで薬物依存みたいだ。でも、依存してたからね実際。

もしかしたら、浪人もSNS依存からの脱却のチャンスなのかもしれない。ヒトはもっと色々な事で評価され得るはずだから、もっと何かがんばってみれば、ということかもしれない。予備校の教材も貰い、時間割も発表になった事だし本格的な始動が間近だ。と言っても、あまりやる気が出ていない。結局同じ事の繰り返しになる気しかしないからだ。きっかけは自分から掴むものなのか、それとも道端に落ちているのを拾い上げるものなのか、分からない。愛も一緒だ。偶然か、必然か。愛を持てる相手、現れてほしい。それとも自分から。愛が欲しい年頃だ。でも現実は邪な考えは捨てて勉強しろ、だ。

1000文字は超えた。大体そのへんが目安だと勝手に決めた。それではまた会う日迄。

 

 

 

ハンガーから、落ちている。

宣言。自惚れる。僕はこれまでの人生であまり敗者(一義的には言いづらいものだが)になったことはあまり無い、と思っている。部活でも勉学でも交友関係でもさほど苦労はしてこなかった。敗者などあまり目にかける必要も無い、負けたのが悪いと思っていた。それがどうだろう、今では自分が受験世界における完全な"敗者"となっている。人より劣っていることを示した*1結果が目の前にあるということがこんなにも絶望的だとは誰が想像したのか。

よく、"人間は勉強とか学力よりも人間力の方が大事だよ"、という言葉を耳にする。これは多分①めちゃくちゃ勉強が出来すぎる故に自分が完璧人間だと思っている人の上から目線、か②学力(この際学歴とほぼ同義)を手に入れられなかった人からのせめてものジェラシー、このどちらかに帰来するものと考えられる。もし、ぼくが上記の言葉を口にしたら、もちろん100人いれば100人が②と答えるだろう。とても自明。怖い、結局学歴社会なのだろう、この現代社会は。学歴がベースになってそこから一人間としての判断を受けるわけなんだ。スタートラインに立つことすら出来てない自分は社会を語る資格すらない非人間の存在だと考えた方が良さそうだ。残念、これが現実。

あと、ここ何日かで思うことは勝者(ここでは現役進学組のことを指す)と敗者(浪人)の世界は一生交わることはないし、互いを理解することも出来ないってことだ。大学のカリキュラムだ、履修登録だ、身体測定だ、話すのは自由だ。むしろ大学生になる人からすれば当然の会話なはずだ。ただ、僕の目からすれば、僕がいる場でそのような話をするのは傲慢、見せびらかし、嫌味としか言いようがない。欲しくてたまらないものを見せびらかされている、まるで檻の中と外の関係のようだ。檻の外に出たくても出られないのに檻の外をうろつかれているような気分になる。気分がいいわけがない。SNSの場合、見ない、リムる、垢消しをするなど、こちら側の対策が可能だが、対面では無理だ。無理。耐える、耐えないの問題ではなく、本質的に何か生き物として違う存在だと考えた方が早いぐらいだ。勝者が敗者を顧みないままの状況は、お偉い官僚様が牛耳り高給を貰い、国民のため、と銘打って働くシステムが機能していない現状と同じだ。プレミアムフライデー、働き方改革、何一つ上手くいってないじゃないか。つまりそういう事だ。

じゃあ、何が必要なのか、と言われれば、勝者が敗者の話を聞く事だと思っている。僕はそのためにもこうやって文章を書いている。自分の気持ちを吐き出す場であると共に勝者に情報提供をする場でもある。理解はできなくても相手の状況の把握はできるはずだ。把握するだけでも何か変わるはずだ。具体的なものではなく個人個人で異なる抽象的なものなはずだけど。あ、浪人する人、この人はこんなこと思ってるんだ程度でいいから、まずは把握して欲しい。把握、してみませんか?落ちているものを拾って、と言っているんじゃなく、落ちている事実を認識して、と言っているだけだ。よろしく。

*1:1つの価値基準に基づくものであるだけ

コップは満たされない

無事、学歴コンプレックスに感染した。SNSで新歓でのタダ飯に喜ぶ同学、カリキュラムに悩む同学、女子のいる環境*1に悩む同学、見るだけで殺人が起きてしまう。そうだ、もう2017年度だから人間ではなくなったはずだ。殺人ではない。

これから、自分の紹介に"一浪で"がつくと思うと、どの結果に終わっても、醜い思いから逃れる事は出来ないと今から思う。最高学府でも目指せば満たされるかもしれない。現実的ではないけど。実際、現役進学だったら大体のことは許されるんじゃないだろうか。最悪なのは折角進学したのに微妙な立場をふらつく仮面浪人だと思ってるから、それにならないだけ、いやなれないだけマシかもしれない。

全落ちの自分は何をしたら普通の人間に戻れるのだろう。3回ぐらい死ねばいいのか。でも何回死んでも自分は自分だ、多分。全落ちの原因は僕の人間としての根本だと想像している。それなら一層の事、醜い人間の例として剥製にでもしてほしい。需要ないとか言わない。働くといっても高卒で働ける程の体力も能力もない自分だ、学歴ぐらい手に入れないと生きていけないのに。このまま朽ちたら僕がこの世にいたかどうかなんてみんな分かんないままだ。

一つ前のブログでポジティブな事を書いたが、それは自己コンプレックスは解消されたということだけで、他者コンプレックスは今でも解消されていない、というか、日に日に増している。TOEICオリエンテーション?そんなもの、知らない。諸悪の根源、SNSは後輩の演奏会の手伝いをする3日に消すつもりだ。

結局、一生このような思いは抱え続けないといけないだろう。これから1年間必死に勉強することで高3までの人生の贖罪をしなければいけないけど、それを高いレベルで持続させて償いをしたとしても、僕の18歳の1年は帰ってこない。僕の10代の1年は紙飛行機にでも乗せて飛ばしてしまったんだ、とでも思うしかない。どこで紙飛行機を飛ばしたのかもわからないけど、目の前にあるその事実は世界の全てが変わっても不変だから。紙飛行機が帰ってくることは無い。人生、満たされることは一生ないから、満たされないことを感じるタイミングが今来てるだけだ、きっとそうだ。コンプレックスを感じる自分が自分だし。受け入れなくてもどうにかこの世に留まることが1つ大事だ。

*1:私は中高男子校で過ごしたのだ

考えながら

パスカルは"人間は考える葦だ"と言いました。ヒトは個体としては小さい存在だけれども、考えること、思想を持っている存在であるという点で自らの力で人生を軌道修正することが出来る、という意味だと解釈しています。

私は大学では社会学を専攻したいと思っていました。理由としては社会学がある意味での"何でも学部"だからです。まあ世の中の学問は重層的に繋がりあっているものですし、法学だったから法律だけを勉強するか、と言われたら答えは否でしょう。ただ、将来何をしていたいか、どんな自分になりたいかという事が描けていない私は、一つに絞られない社会学がいいかなあというような単純なマインドの下で社会学を想像していました。

今振り返っても、目的意識の薄い受験勉強は身にならないものでした。大学生になれたら嬉しいな、程度での勉強です。闇雲に目の前にある参考書を読み、問題を解くだけでした。必死に大学でやりたい事をやるために勉強し、受験を迎える人に勝てるわけがなかったのです。成績は校内でも中の上、上の下?浪人は無いでしょう、のような心情を抱いていてはまあ無理なもんは無理でしたという訳です。

未来を描けないままに努力することは不可能なことではないかもしれませんが、難しいことです。理想形が頭にあり、その理想を実現するために必要なステップを考え、踏んでいく意思を持ち、努力を続けることが成功するための一つのキーだろうと思います。未来について考える時、否定的な事を考えていては始まりません。最初から色々なことが出来るヒトはいないのですから、未来を達成するために必要なことを考え、肯定感を持つことが重要です。

これらは昨日夕食を共にした友人に諭された事です。友人(仮にAとします)も今年の入試は縁がなかった人なのですが、私と大きく異なり、将来の設計図を既に描くことの出来ている人間です。Aは将来起業するのを目標としていて、医師免許は食いっぱぐれないために取っておくそうです。そんな不確定な未来まで自分で道を定め、切り開こうとしていくAのハングリー精神には驚かされました。そのような考えを持つAに、私はめちゃくちゃ怒られました。未来の事を考えず、自分で挑戦する前に可能性を閉ざしている私は彼には理解不能の存在だったのでしょう。上記の事を責められた私は返す言葉がありませんでした。私は自己肯定感が低く、更に失敗を恐れる性格なので.大きな目標を立てることなどなく、目覚しい努力などは本当にしてきませんでした。それをすべて見抜かれていたのです。

ただこんな事を親でもないのに真剣に言ってくれる友人はそうそう現れるものではないと思い、有り難さに心が包まれました。

私は今、親とも話しながら自分の将来について様々なベクトルから考えています。職業であったり、大学で学ぶことであったり… これまでは考えることから逃げていました。未来をマイナス的にしかイメージしなかった過去はもう終わりです。少しは未来を描けてきました。就きたい職業も決まりつつあります。人に尽くすことが好きな自分に合う仕事が頭に浮かんでいます。叶えたい将来を得るためには何が必要なのか、考えています。ネガティブな自分、闇雲な自分とはサヨナラです。人間として、"考えること"をしっかりとして生きていきます。

浪人が決まったからこそ自分を見つめ直すことができ、修正できる機会を得られました。これを無駄にする理由はどこにもありません。大学生になる同級生よりも将来大きくなれるように2017年を過ごしたいと思います。

交わる、交わらない

先週、卒業式を終えてから、学友との様々な予定が組まれていました。書き出してみます。

21日→暁斎展、北日本医科学生オケ鑑賞
24日→池袋(ボーリング、ラ・ラ・ランド鑑賞)
27,28日→部活の友人と伊豆旅行
29日→4年来の友人と新宿で夕食
4月5日→医学生と下北沢ハンバーガーランチ

本当にあなた大学決まらなかった人間なの?と自問自答したくなるような予定です。親に、1年分3月中に遊んどけと言われたので、まあ許容される範囲ではあるかなと勝手に思います。
ただ、遊びに行くのは、私と同じ身分の人だけではありません。私の目指していた第一志望*1に進学する方、併願校として受験した私立*2に進学する方、私とは別の予備校に進む方、最高学府*3に進学する方、さまざまです。遊んでいる間は一友人として元あった関係のまま過ごすことが出来ます。しかし、私たちの進む道は違うのです。どこまでいっても予備校生と大学生のマインドは非なるものですし、自分の受験生活を思い出してしまいます。いくら4月から切り替えよう、受験は一旦終わりだと自己暗示をかけても、一度友人と別れてしまえば、2月、3月上旬の様々が私の脳裏にフラッシュバックし続けるのです。

このような思いが1年をかけて熟成されていくと、“学歴コンプレックス”を持った今以上に醜い人間になっていることは想像に難くありません。もう1年勉強してどうなるか?、予想がつきません。国立かはたまた私立か、それともまたダメか… どんな結果に終わったにしろ"一浪して"という前書きがつく人間になることは不変です。現役で進学した方とは学年も変わりますし。自分が想像していた以上に浪人を拒む自分がいます。
ところで、コンプレックスという概念はアドラー心理学で有名ですね。ただ、アドラーのいうコンプレックス(劣等感)は、他者と自らを比較して生まれるものではなく、理想の自分と現状の自分との差異から生まれるものとされています。まあどちらにしろ今の私は他者コンプレックス(他人と自分の比較)*4と自己コンプレックス(理想と現実)*5のどちらにも苛まれているわけであります。私の大学に行ってやりたいことの1つは心理学です。人間心理の読み取りが学問として体系化されているのですから面白くないわけがないですよね。私が進学を希望しているのは基本的に文学部ではありませんから、学部間の垣根の低い大学に行きたいですね。そうすると最高学府なんでしょうか。

先述の通り、明日からは伊豆旅行です。友人と会っている間はせめても“高校を卒業した”という肩書だけで過ごしたいものです。まあ大学のカリキュラムやオリエンテーションの話をされたら死んでしまうと思いますが。他殺ですね。ただ自殺だけは洒落になりませんからね、やめておきます。
またブログを書くと思います。暁斎ラ・ラ・ランド、受験記、予備校生活への展望…書きたいことは山ほどありますから。また、旅行後にお会いしましょう。さようなら。

*1:日本で一番難易度と知名度が比例しない大学グランプリ優勝

*2:紙幣、総理大臣など

*3:日本国内における

*4:勝手に命名

*5:同上

ブログ、始めました。

大学受験に失敗し、浪人が決定しました。

 

周りの友人は大学生になる人が多く、自分の思いはあまり描出させないでここまで来ました。

4月から高校時代の友人に会うことはほぼ無いわけですし、自分の思いを吐き出すことが出来る空間を用意してもいいかなと思いブログを開設してみました。高3時代の受験の振り返り、予備校生活、日常、好きなことを書きます。

 

ツイッターと違い他人を気にする必要もありませんし、頻度も自由です。まあ見る人もいないと思いますが、気長にやりましょう。